カルトの子だった私は不幸だったのか?

新興宗教の2世として育てられた私は本当に可哀想で、不幸な子なのか?

それについて語りました。

うーん。ただでさえ一般的に認知されてないジャンルで発信してるのに、この話題…。
本当に需要があるのか?…笑

いや、世界中のどこかに(日本語だけど)、そういう考え方もあるのか!
…と思ってくれる人がいるはず。



異端な新興宗教で、体罰なんかも当たり前に行われてきたし、普通の子のようにクリスマスを楽しんだり、誕生日も祝ってもらえなかった。
学校の行事もほとんど参加できず、当たり前のことが宗教上の理由で、みんなと同じようにできなかった。

普通に考えたら不幸だろう。
でもその中にどっぷり浸かって育てられ、その時を生きてきた私にとって、不幸だったかと言われれば、それはちょっと違う気がする。

過去は変えられないけど、見方を変えることはできる。

よく思い返してみると、楽しかった思い出もあるし、普通の子にはできない経験をたくさんさせてもらったことで、大人になった今、普通とは違う自分なりの感性や考えを持つことができ、自分の道を切り拓いて歩いていくことができてる。


元JW2世に限らず、恵まれない環境で育ち、自分は不幸で幸せだったことなんて何もない…と嘆き、自分の家族や過去を恨んでる人が居たら、ちょっと考えて欲しい。

自分の過去を恨んだり、呪ったりしながら、これからもずっと生きていくのか?
それは自分がとても苦しくなる生き方だと思う。

それとも自分の過去を受け入れ、それをバネに強く生きていくのか?
本当にもし不幸だったとしても、その時その時を精一杯生きてきたことや、その中にも光があったこと、あるいはそれがあったからこそ、大人になって人の痛みの分かる、豊かな感性を持った大人に成長できるのではないだろうか?


何かちょっと哲学っぽくなったけど(笑)、私には私の生き方の美学がある。
それに沿ってこれからも私らしく生きたいと思う。
そしてこのブログや動画を見た誰かが何かを感じてくれたらいいと思うし、必要な誰かに届くといいなと思う。



https://youtu.be/-agKfLifd6o