にゃんかの略歴

母が最初にエホバの証人となり、私は普通の保育園からエホバの証人の幼稚園に通うことになりました。

 

幼稚園でも変わったことがたくさんありましたが、それについてはまたいつか別の機会に話します。

 

そのまま小学生となり、学校ではエホバの証人の子どもであるがゆえにできないことがたくさんありました。
挙げれば切りがないのですが、運動会での騎馬戦、応援歌(エホバの証人は戦い禁止)、お神輿祭り、クリスマス(偶像崇拝、または異教の宗教)、誕生会(キリストは誕生日ではなく亡くなった日を祝ったという理由で)、給食で出る鯨の肉は食べれない(血抜きされてないとの理由で)、進化論の授業は受けない(聖書の教えと違うから)校歌や国家斉唱(よく分からないけど中立の立場)、中学や高校でも生徒会長などを決める投票(政治的な事に関わらない)、柔道や剣道(戦い禁止)…etc。

 

先生相手に、学校相手に小さな子どもが聖書を片手に証言してできない理由を話し、みんなが楽しそうに行事をしたり、授業を受ける間、クラスでぽつんと1人見学したり、全校集会でも自分だけ歌えないのです。
正確に言えば、私の生まれ育った1970年代~1980年代はエホバの証人が今よりずっとたくさん居て、どんどん増えていってた時期なので、その子どもたちはたくさん居て全校に何人かいましたが…。
それでもやはり、全体からするとほんの数%で、みんなと違うことをするのはとても勇気がいったし、怖かったし、やっぱりみんなと一緒に当たり前のことを当たり前にしたかったです。
しかしそれらの行事に参加することを、エホバの証人の組織では厳しく禁じられてたので、普通の子とは全く違う人生を歩んできました。

 

そして私は小学6年生の時にバプテスマと言われる洗礼を受け、正式にエホバの証人となり、中学の時には家族全員がエホバの証人で組織の中では模範的な家族となりました。

 

しかし、高校生になってすぐ、組織の在り方や教理に疑問や違和感を感じるようになり、反発するようになりました。

 

その結果、エホバの証人の組織を追い出されることになりました。
「排斥」と言って、今までずっと仲のよかった幼なじみや友人とはもう会えなくなります。会えなくなるのは友人たちだけではありません。家族とも縁を切られて会えなくなってしまいます。

 

家族がバラバラになること。これは、カルトの特徴の1つです。

 

そうやって16歳で家を追い出されることになり、それから20年以上、家族とは会えませんでした。

 

正確に言うと、親戚の冠婚葬祭などで会うことはありましたが、家族は目も合わせてくれません。
寂しくて実家に帰っても家に上げてくれませんでした。
エホバの証人からすると、私は組織を裏切った「悪魔サターンに取られた人」ということになってしまったからです。
母も本当は辛かったのでしょう。帰ってきた私を家に上げずに泣きながら追い返しました。

 

子どもが親を思う、親が子どもを思う…そんな当たり前の感情でさえ、打ち消して教理に従わされるようになる…。これが洗脳なんです。

 

両親とも元々はとても愛情深く優しい人たちです。
それがマインドコントロールによって人が変わってしまう…。これがカルトなんです。

 

そんな私も20代後半でごく普通のサラリーマンと結構しました。
夫は私が外に出て働くのを嫌がり、子どもはいなかったけど、専業主婦になり、暇を持て余してしました。
ちょうどその頃からインターネットが普及し始め、家は早くにパソコンを購入していました。
私はインターネットなどには興味がなく、またパソコンの使い方も分からなかったけど、あまりにも暇だったからか、何気なく「エホバの証人」とキーボードを打ってみました。

 

ずっと家族のことなんて思い出さないようにして、忘れてたのに…。

 

すると!
私が目にした情報は、あまりにもビックリするようなものでした!!

 

エホバの証人が、カルト?!

 

初めて知りました。

 

その時まで、そんなことは思ってもみませんでした。

 

エホバの証人の教えは本当で、裏切ったのは私。
私が悪い。
私は神の裁きの日、ハルマゲドンで滅ぼされる人だとこのネットの情報を知った時まで、ずっとそう思ってきました。

 

続きはまたにします。



こちらも動画で語ってますので、よかったら見てください。
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